Saturday, January 07, 2006
エヴァンゲリオンの哲学

I must not run away 年末に近くのレンタル・ヴィデオ屋がDVDへの移行のために在庫ヴィデオ一掃処分をしました。なんつったって5本で10ドル。もうバナナの叩き売り状態。だもんで、旦那と店中のセール箱を漁りまくって、今更なんだけどアニメ、エヴァンゲリオンの全シリーズと劇場版2本を入手しました。

ウチの旦那はこっちの人ですが、結婚以来6年間でなぜか立派なアニヲタに成長。日本語はまったくダメですが、英語字幕か英語吹き替えになったアニメで観てないものはありません。しかもMadman Entertainmentのおかげで最近の日本アニメの海外進出ぶりは異常。ニュージーランドにも新作がガンガン届いてます。

エヴァのキャラクタは幼少時代からの対人的トラウマを抱えた、98年のリリース当時は流行語にもなっていたアダルト・チルドレンばかりなわけですが、こんなにドロドロした心理描写を主体としたアニメが日本で大ヒットしたのは、同じような体験を過去に持ち、共感した人が多かったからなのかも。日本には寂しい子供が増えてるってことだな。
ちなみにニュージーランドの離婚率は50%以上で家族なんかすでに崩壊しまくってるし、このアニメを絶賛するニュージーランド人が多いのも不思議じゃありません。

同シリーズの後半で繰り返されるのが、「第三者との接触や判断によってのみ認知できる自己の存在価値」というメッセージ。7年間ニュージーランドにいて日本はやっぱり競争社会だったと思うんだけど、競争するってことは他人よりも秀でていることを第三者に認めてもらうということ。つまり、日本にいると自分の行動や発言、能力に価値があるかどうかを常に意識してなければならないということ。そりゃ疲れます。

ところが、あたしはニュージーランド到着直後に朝から晩まで完全な英語環境を無理矢理確立したせいで、それとはまったく逆の環境に置かれて、マジで頭がおかしくなるんじゃないかと思ってた時期があります。だって、日本の仕事や人間関係から切り離されてみたら、自分の存在があまりにも希薄になってしまったから。ニュージーランド人にとって、あたしがそれまでにどんなキャリアを積み重ねて成功を納めてきたかとか、友人や知人からどれくらい必要とされてきたかなんてどーでもいいわけですよ。あたしなんか無でした。無。誰もあたしを知らないし、あたしは誰も知らない。
しかも、ニュージーランド人とお互いの存在価値を認め合えるくらいの精神的なつながりや関係を築くなんて到着早々できるわけがありません。結果、「自分とは何なのか」、「あたしの存在に価値はあるのか」と、坊さんのような自問自答スパイラルに突入。

そんでもって競争もありません。唯一の競争といえば、最初の1ヵ月だけ通った語学学校のテストでいい点をはじき出すぐらいのもの。んなものはどーでもいいです。勉強さえすれば点なんか採れますから。あたしが欲しかったのは、もっと具体的な目標や競争相手。タスクを遂行して周囲から認められること。でも何に対して競争すればいいのかわからなかったし、とりあえず勝たなきゃならんのは自分自身でした。

ま、あたしの場合、自分に勝つ前に競争しないことに慣れてしまったので何も変わりませんでしたが。

現在、エヴァンゲリオン実写版の制作が進んでいます。しかもデジタル・アートはThe Lord of the RingsやKing Kongでおなじみのニュージーランドが誇るWETA Workshopが担当。あのアニメをどう料理したら実写にできるんでしょうか。すでにイヤな予感がするんですけど。しかもモックアップの画像見たら、キャラのイメージがメチャクチャなんでビビってるんですけど。



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