Sunday, April 09, 2006
ハルマゲドンは来るのか Part1

ダヴィンチによる最後の晩餐から。右端でテーブルにひじをついているのがユダ、両手を広げているのがキリスト シリーズ:
ハルマゲドンは来るのか Part1 >>Part2 >>Part3

3月に帰国した元編集長のYayoi女史が日本で宗教関連の書籍を読み漁っていると聞いて、思い出しました。

そういえば、ムハンマドの風刺画の騒ぎはその後どうなったのか

以前のエントリでこの風刺画について触れましたが、あたしは未だに偶像崇拝というイスラムの宗教的タブーを、異教徒によって笑いのネタした行為を快く思っていません。
だいたい風刺画というのは、見た人が思わずクスリと笑ってしまう皮肉が含まれていることを前提として描かれるべきなのに、今更ムハンマドの頭に爆弾が乗っていたってあまりにもマンマすぎておかしくも何ともない。風刺画としてのセンスが最悪。あの絵を見て世界の何人が笑ったというのか。
そして、そんな3流風刺画を宗教的タブーに土足で踏み込んでまで新聞に掲載する価値があったとはとても思えないというのがあたしの意見です。

今夜、ムハンマドの風刺画より以前にも似たような事例がなかったのかどうかを調べていたら、悪魔の詩にたどり着きました。
これは風刺画ではなく、インド系イギリス人作家のサルマン・ラシュディによるイスラム教パロディ小説。著者が1988年にイランの故ホメイニ師からファトゥワ(死刑宣告)を受けたほか、この作品を翻訳した世界各国の翻訳者が刺客に狙われ、日本語訳を担当した筑波大学助教授だった五十嵐一氏は、白昼の研究室で喉を繰り返し切られて惨殺されています。

ここで気になるのは、ムハンマドの風刺画と悪魔の詩、両方に大きく反応していたのがイランだったことです。イスラム教を国教としている国はほかにもあるのに、イランの反応だけがちょっと普通じゃない。
1979年のイスラム革命でホメイニ師を支持した人々は民主化と生活向上を夢見ていたはずなのに、逆に宗教と政治の癒着を強め、イスラム原理主義に力を与えたイラン。だからこそ、ムハンマドの風刺画が話題になった直後から他国への政治制裁を振りかざしていたのもイランでした。

対するキリスト教の聖書には、イスラエルと反キリスト勢力との最終戦争(ハルマゲドン)が起きるとき、キリストが再び地上に降臨して至福の時代をもたらしてくれると記されています。これを実現させて、早いとこ千年至福を達成したがっているキリスト教原理主義の動きが最も顕著なのはアメリカ。彼らはすでにその政治力まで支配しています。
結局、3流風刺画の登場は、風刺どころかイランとアメリカの対極化を浮き彫りにしただけだったんじゃないでしょうか。

最近のイランとアメリカの緊張はこのエントリでも触れているので割愛しますが、石油のユーロ取引をイランが見送ったことで多少は状況が改善されたかと思いきや、今日になっていよいよイラン攻撃に向けて前進するようなこんなニュースも報道されています。また、7日付の時事通信は、アメリカがバンカーバスター(地中貫通型の核兵器)を使用するかまえがあることまで具体的に発表したと伝えました。

更に、笑っちゃうほどタイムリーな4月28日に発売予定(日本)の、ナショナル・ジオグラフィック4月号の特集
ユダがキリストを売り飛ばしたのはキリストの願いだったなんて、遂にナショナル・ジオグラフィックも東スポ化したのかと思いましたが、実はこの説は古くから語られており、封印されていた事実がやっと科学的な根拠を元に公にされることになるらしい。

ま、2000年も前のことを今更「ウソかホントか」と議論することは宗教を持たないあたしには興味のないことですが、この説が浸透してキリスト教とユダヤ教の摩擦がなくなれば、アメリカにとって戦争へ向けて国民の結束を固めることが容易になるのは間違いのない事実でしょうね。
キリスト教原理主義とユダヤ教の双方が旧約聖書の万物創造を支持していることからもわかる通り、そもそも旧約聖書はユダヤ教の聖典。ブッシュはバリバリのキリスト教原理主義者だし、筋書きはもうできあがったという感じ。

マジでそろそろ来ますよ。

追記::
勢いで書いたんですが、途中からユダとユダヤ教の内容が錯乱した説明になっていてわかりにくいので追記します。
もともとユダヤ教のヤハウェ(YHWH)を主軸にしてキリスト教もイスラム教も同じ神を信仰しています。イスカリオテのユダの裏切り行為からキリストが十字架にかけられたことをきっかけにして、パウロがローマ帝国で行った布教を元に派生したのがキリスト教と解釈したとき、今回の発表は大きな意味を持っています。
なんたってキリストも"神(ヤハウェ)の子"であり、そのキリスト自身が神に導かれて死につながる選択をしたのであれば、「なぜ死を選ばなければならなかったのか」と同時にヤハウェの存在が当然注目されるはず。そして、キリストのヒロイズムがうやむやになったとき、ユダヤ教の唯一神の思想が大きく影響するのではないでしょうか。

シリーズ:
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4 comments | コメントを書く

4 comments:

Anonymous said...

復活祭を前にして、アメリカでも、結構キリスト教の番組が多いですね。このユダの話も昨晩テレビで見ていたところです。

そうですか、この悪魔の詩のことは、まったく知りませんでしたので、大変興味ぶかい。さっそく、勉強させてもらいます。

しかし、白昼堂々とね、この五十嵐一先生の話、日本と言う国はまったく宗教深い国ではありませんが、こんなことが起こっていたとは、やはり怖いですね。

4/11/2006 1:10 pm

Envy said...

> Cha Chaさん
イスラム教はあたしにとって、まったくもって謎です。コーランを読んでも共感できない&理解できない部分が多い。
悪魔の詩の件もイスラムの息のかかった刺客が組織的に動いていたことで間違いないようですが、それを実行するためのジハードの精神は、イスラム教徒でなければ達することのできない領域なんでしょうね。

正直、理解できないだけに余計怖いです。

4/12/2006 2:02 pm

Anonymous said...

私の周りにはなぜかイスラム教徒の人が結構いますが、中にはイスラム教もキリスト教もGODというものは一緒で、思想が違うだけ!と言ってる人も居たりして、結構柔軟に宗教をとらえてる人が多いです。

私自身は宗教はテラピーの一種でカウンセリングだと思ってます。なので、宗教も大人の常識や道徳をわきまえて信仰すれば悪いものでは無いのですがね。っていうのが私の考えです。

でも、昔々から、宗教の力を利用して権力を得ようとした指導者たちの目論みで過激部分ができてしまったから、厄介なものになってしまったのでしょうね。

4/14/2006 4:52 am

Envy said...

> ジャパワイフさん
確かに柔軟な考え方を持っているイスラム教徒はあたしの周りにもいるのですが、やはり"改宗したら死刑"である宗教に対してはどうしても拒否反応が出てしまいます。

もちろん、宗教への傾倒の比重は個々によって大きく違うし、宗教によって個人を安易に量ることは避けるべきだと思っています。ましてや宗教の存在を否定するつもりはまったくありません。
ジャパワイフさんの言うように、テラピーとしての要素も多分に含まれていると考えています。

ただ、外部の人間を殺したり、内部から離脱しようとする人間を殺したりすることがテラピーとして容認されてはならないと思うわけです。また、それを肯定することは宗教ではなく洗脳に近い気がするし、理解することも現在のあたしにはできません。そして、理解できないものに対しては恐怖心を抱かずにいられない。
あたしのイスラム教への認識は偏見から生まれているものではなく、イスラム教(特に原理主義)の思想があたしの持つ倫理観にどうしても当てはまらないことから来る戸惑いのせいだと思います。

また、上層部が利を得るシステムは、どんなに矛盾していようともすべての宗教に共通している欠かせない要素であることも確かです。
宗教という枠を外したら残るのは哲学的思想ですが、マルクス主義を手本にしたはずの北朝鮮も、結局は極端な独裁制を作り出すチュチェ思想に変化を遂げたし、利を得ようとする人間の本能を止めることは誰にもできません。

ホント、考えれば考えるほど世界のすべての人々が平和に楽しく暮らすことは不可能なんじゃないかと思えてきます。
ここんとこネガティヴな意見ばかりですんません。
ハルマゲドンなしの理想郷の建設に期待しましょう(笑)。

4/14/2006 3:58 pm